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Posted by 滋賀咲くブログ at

2016年05月27日

私を育ててくれたのは?



仕事の仕方、仕事に関する考え方・・・みたいなことをある人とお話をしていました。
話ながら思い出したこと。

以前勤めていたところの支店長が取引先の方から私の仕事ぶりについておほめの言葉をいただいたそうです。

その時、支店長はどや顔で「あの子を育てた(仕事のやり方を教えた)んはわしや」と言われたそうです。

・・・え?そうなんですか?

確かに随分長く一緒に働いてましたけど、教えられた感はほとんどないんですけど・・・

ああはならないでおこうと思ったことはあるから、反面教師という意味では育てられたのかもしれません。

その支店長に育てられたかどうかは定かではないですが、その頃の長い事務員生活の中で仕事に対する考え方ややり方、人との対応の仕方を身につけたのは事実です。

今、自分の仕事に対する姿勢を褒めていただくとあの頃の自分を、自分のやってきたことを褒めてもらっているようでうれしくなります。

その仕事を理不尽に失った時にはつらい思いもしましたが、あの日々があるから今の自分がいると胸を張って言えるようになってきました。

そういえば別の上司は同業者の集まりで「うちの事務員さんは性格だけはすごくいい!」って褒めてきたぞ!ってやっぱりどや顔で言いに来たことがありました。

・・・他に褒めるとこはないんか?!

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2016年03月01日

仕事も旅行も自分のものにすり替えちゃえば?



企業に使われていると好きなことできない?

う~ん、半分あってて、半分あってない。

たぶん、そんなことないと思います。

実際、仕事をしながら好きなことをやっている人はたくさんいるし、仕事自体が好きなことになっている人もいるし、仕事から派生したことで違う道を見つけた人もいる。

社内旅行に海外に行くということが普通に行われていた頃、香港、ハワイ、ロス、シンガポール、台湾、韓国と会社の半額負担でツアーを組んでいきました。

会社の慰安旅行が海外であるということは何がいいって日本式の「宴会」がない!

私達が若い頃はセクハラなんて言葉はありません。

「宴会」となると、お酒のお酌はしなきゃいけない、お酒は酔っぱらうまで飲まなきゃいけない、女性社員はコンパニオン的な暗黙の掟がありました。

今なら別に抵抗ないですけど、(っていうか無視するし、お酌なんてしないし)当時は嫌でした。

海外に行けばそれがない!

と、思っていたのですが、現地ではどこに行っても上司が一緒。

旅行慣れしていないおじ様たちはお金は出すから一緒にどこか連れてって状態。

どの旅行先の写真にも同じ上司が一緒に写ってます(笑)

それがうっとうしいといえば、うっとうしい(失礼)

そうだ!自分の個人旅行にすり替えてしまえばいいんだ。

行ってしまえばこっちのもの。何とかなる!

ハワイではみんなが申し込んだオプショナルツアーは申し込まず、バスに乗ってパールハーバーやホノルル動物園に1人で行きました。

シンガポールや韓国でも友人と共にみんなとは別行動。しっかり個人旅行にすり替えました。

慰安旅行だけじゃなくて、お仕事も自分のものになるように意識をすれば、きっと自分のものになると思います。

いやだなぁ、邪魔くさいなぁって思いながらするのではなくて、これを覚えよう、こうしたらどうだろう?って思いながらする。

どうしたら自分も会社もよくなるかって考えながらやるとか。

そうするとただの仕事が自分のものになる。

どうせやるなら楽しく自分のものになるやり方で仕事ができるといいですね。


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2016年02月29日

人生、何事も経験!




亡くなった父の口癖

「何事も経験」

それって若いときのことだとずっと思ってました。

でも違うかも。

いくつになっても経験するって大事かもって思いました。

人の人生って当たり前だけど1回きり。

誰でも知ってますよね。

だったらいっぱいいろんなことしてみた方がいい。

お仕事に恵まれず、いろんな仕事に就くことも一つの経験。

もちろん、1つの仕事を一生貫くのは何より素晴らしいと思います。

そうでありたいと私も思っていました。

でもそうはいかないこともあります。

やむを得ず職を変えなきゃいけなくなった時、大変だけど嘆くより、新しい仕事ができると考えればいい。

いろんな理由で少ないお金をやりくりして、生活しなければいけないとしたら、数年後には面白おかしく人に話せるネタになる。

今の日本でそれはそれでかなり貴重な経験。

こんな経験、したことある?って胸張っちゃえばいい。

人間関係のいざこざに巻き込まれたら、その時はもう何も考えたくないくらいに辛い日々が続いたとしても、いつかかならず終わりが来ます。

いや、その状況がどんなであろうと、もう勝手に自分の中で終わらせてしまっていいと思います。

そうしたら見えてくるものが違っていくから。

もし何かに腹が立って絶対許せない!って思ったり、弁護士さんに相談に行ったり、傷ついて心を病みそうになったとしても・・・なかなか、できない経験だから、少しだけ余裕ができたら楽しんでしまえばいいと思います。 

人生は何事も経験!そう思えば大概のことが大切なことに思えてきます。

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Posted by HIRO(talkwith) at 22:18Comments(0)

2016年02月23日

記憶の奥のかわいい私



この間、何かの情報を追いかけてネット上をさまよっていたら、偶然、懐かしいお名前をお見かけしました。

私がまだ、10代の頃に好きだったミュージシャンの方。

関西中心に活躍されていたので実際、何度もお会いして、お話もしたことがある。

けれど、私の興味が薄れて行ったのか、彼の活動拠点が変わったのか、流れていく日々の中でいつの間にか彼の存在はすっかり遠い存在になってました。

本当に、偶然見つけるまでお名前も忘れかけていたし、彼の音楽もすっかり忘れていました。

交わした言葉も出来事も・・・まあ、ファンなんてそんなものですよね 汗;。

お写真も拝見しました。還暦越えのはずですが、お若く見えました。

ただ不思議なのは思い出した途端に意識が10代のあの頃に引き戻されたこと。

細かいエピソードも話した言葉もすっかり忘れているのに、その頃に感じたワクワクとかドキドキとかきゅんきゅんとか、その時の空気感とかがちょっとだけ、ちょっとだけよみがえりました。

今は東京を中心に活躍されているようですが、またどこかでお会いすることができたら素敵だなぁ。

いくつのなってもこういう気持ちは忘れたくないです。

記憶の奥の奥の方に眠っているかわいい記憶。
乙女な部分を時々、思い出してみませんか?

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2016年02月04日

憧れの街 part2

今日、仕事をしていてふと思い出したことがあります。

以前、神戸にあこがれていたことは書きました。

神戸でも思い入れがあったのが、山手の洋館が建ち並ぶ北野町の辺り。

もうね~好きで、好きで。

坂道を登って、建物の合間から海を見るのが好きでした。

そして、須磨の向こうに「塩屋」という土地があります。

そこも大好きな場所でした。

神戸の郊外で海が迫った閑静な住宅街です。

私はそこに住みたかったんです。

何度か周辺を散歩したことがありますが、大きなおうちもあって散歩しているだけでワクワクしてくる街でした。

もうすっかり忘れていたのですが、仕事でその地名を見たとき、突然、思い出しました。

思い出したら、何だかとっても懐かしくて、胸のどこかがきゅ~んってなりました。

早速、おうちに帰って来てGoogleで検索。(便利になったもんだ)

どこをどう歩いていたかは忘れたけど、あの頃、この場所にあこがれていた自分を、自分の気持ちを思い出しました。

温かくなったら行ってみようかなぁ。




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Posted by HIRO(talkwith) at 22:39Comments(0)

2016年01月19日

引き際

SMAPの解散は回避されたようでよかったです。

特にファンというわけではないですが、彼らの歌は好きです。

カラオケに行くと最後の曲に「がんばりましょう!」とか「ダイナマイト」を熱唱すると元気がでました。

中でも「世界で一つだけの花」は、不遇なとき、世間の考え方に逆らってるかな?と思うとき、よし、がんばろう!って思うときに聞くと泣きそうになることがあります。

今回の騒動の裏で何が起こっていたのか、誰が悪いのか、私にはもちろんわかりませんが、組織に属している以上、もっと言えば生きている限り、人は様々な軋轢、しがらみ、誤解、悩み、いさかいに面しながら生きています。

解散する、独立するというだけで日本中が大騒ぎするほどのスーパースターでも組織や人に翻弄されるのは私たちと変わりないようです。

私は組織(会社)を去るときに悔しさで号泣しながら、去ったことがあります。

寂しいとか感激したというのではなく、ただ悔しかったから。

20年勤めた仕事の終わりがこれかと思うとただただ悔しくて号泣しました。

退職自体を自分では前向きに受け止めようとしたつもりなのですが、なかなか前向きに考え方を変えることができずにいました。

SMAPがこれからずっとSMAPであり続けるのか、いつか事務所を辞めるのかは私の知るところではありませんが、SMAPの引き際は今回のようなドタバタのスキャンダルまがいのことで解散するのではなく、ぜひとも格好良く、さすがSMAP!と誰もが思えるような形で幕を引いてほしいです。

だって引き際って意外と、かなり重要ですよ~。



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2016年01月17日

こぎつねこんこん、ごんぎつね

こぎつねこんこん

やまのなか やまのなか

くさのみつぶして おけしょうしたり

もみじのかんざし つげのくし


こぎつねこんこん

ふゆのやま ふゆのやま

かれはのきものじゃ ぬうにもぬえず

きれいなもようの はなもなし



はい、皆さまご存じの童謡です。

歌詞を確かめるために、ググったらこの歌の題名は「こぎつね」でした。


私はてっきり「こぎつね こんこん」か「ごんぎつね」だと思い込んでました。


この歌を聞くと私はとても切なく、悲しい気持ちになります。

もうね、思い出しただけで泣きそうになります。

理由は2つ。

1つは個人的な思い出。

小学校でこの歌を歌っていた(たぶん)時に、男の子に足を蹴られた・・・。

子供の頃の記憶なのでもしかしたら何かと混同していたり、間違った記憶にすり替わっている可能性もありますが、私の中では「こぎつね こんこん」=「いじめられてる」なんです。

人の記憶って怖いですね。40年以上前の記憶がその歌を聞くたびによみがえるんです。

きっと、いじめていた方は忘れていることだと思いますが。


もう一つは先に書いた「ごんぎつね」を思い出すから。

こちらも有名な童話なので、多くの方がご存知だと思います。


いたずらばかりしていたきつねが、おじいさんに助けられたことに感謝してお礼に毎晩、食べ物を届けるようになった。ある日、きつねを見かけたおじいさんはまたいたずらをしに来たと思ってきつねを撃ってしまう・・・というお話。


・・・悲しすぎます。


この手のお話は、感情移入ができすぎて・・・切なすぎて・・・ダメです。


現実に何らかの理由で、相手が良かれと思ってやったことが、たとえ自分の意に反することであっても相手の気持ちを思った時、責めたり、怒ったりはできない。相手に「ごんぎつね」と同じ思いをさせたくない。

そのために自分の感情を抑えることになって、苦しくなることもあるんだけど、なぜかこの想いだけはずっと強いのです。


「こぎつね」って歌が好き。でも、悲しさを思い出す。

「ごんぎつね」のお話が好き。でも、切なすぎて読めない。


いくつになっても心に残っている童話、動揺です。


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Posted by HIRO(talkwith) at 22:19Comments(0)

2016年01月16日

神戸の思い出(阪神淡路大震災21年目に寄せて)

高校時代に初めて神戸に行きました。

京都生まれの京都育ち。海のある街は私の憧れでした。

電車を乗り継いで、ワクワクしながら神戸の駅に降りました。

友達二人、初めての土地、山がこっちだから海はきっとこっち~!みたいな乗りで海をめがけてどんどん歩きました。

神戸港で遊覧船に乗り、ポートタワーに上り、それからわずかな情報だけを頼りに山手の異人館の方へ。

初めて見る洋館【異人館】のロマンチックさに妄想が暴走!もうメロメロでした。

それ以来、ほぼ1か月に1度の割合で神戸に遊びに行きました。

何が好きかってそりゃあ、雰囲気から景色から何から何まで好きでした。

1人で行ったり、大勢で行ったり、友達と行ったり、彼氏と行ったり・・・どこに行く?うん、神戸!みたいな感じでした。

神戸が好きすぎてアパートを探したこともありました。(実現はしませんでしたが)

きっと前世で私は神戸に住んでいたんだと思ってたくらい好きでした。



そして・・・あの・・・地震・・・


私自身は滋賀県にいたので大きな被害はありませんでした。

しかし、早朝の大きな地震、テレビを付けたときの衝撃、その日の混乱は忘れようがありません。

大好きな神戸が崩壊した日・・・


実はあの日以降、ずいぶん長いこと、神戸に行くことができませんでした。

怖かったんです。変わってしまった神戸を見るのが。

仕事柄、知り合いの業者の方も被災されました。

会社として震災後の復興にも応援に行ってたのでその報告も聞きました。

まだまだ瓦礫が散乱する荒れ果てた神戸の写真は衝撃でした。

あの街が壊滅したことのショックは私にとってそのくらい大きなものでした。

私が友達に誘われて、震災後の神戸を訪れたのは、数年後・・・たぶん、10年くらい経っていたかもしれません。

久々に訪ねた神戸・三宮の街は以前にもまして賑やかで華やかでした。

憧れの街は憧れの街のままでいてくれました。

港には新しい建物やショッピングモールができていたり、洋館が建ち並ぶ北野はおしゃれなお店が増えて、観光客がもっともっと増えていたり。

私的には以前の北野の方が雰囲気があって好きだなぁなんて勝手なことを思ったくらい、神戸は震災前より賑やかで華やかになっていました。

関西に住む人なら震災前・震災後に関わらず、神戸の思い出があることでしょう。

明日は阪神淡路大震災から21年。

今夜は神戸の思い出を少~し思い出してみませんか?

そしてあの地震のことも・・・

(私が一番好きな神戸の洋館です)



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Posted by HIRO(talkwith) at 21:28Comments(0)

2015年12月24日

輝いていたあの頃のように・・



数年前に20年勤めた会社を辞め

ました。

それからずっと、ほぼほぼ求職状態。

20年の事務員生活では、大概の仕事

をしてきたし、いろんな経験をしてきて

ました。

だから、正直言って自信ありました。

ずっとこれまでと同じように働くことが

できると信じていました。


しかし・・・何度も断られた。

問い合わせの段階で理由も言われず。

雨の中、わざわざ面接に行ったのに、

1時間くらい待たされたこともあるし、

折り返しの連絡を無視されたことも。

人間不信・会社不信が高じてやがては

自分不信に陥ってしまいました。

段々臆病になって、求人票を見ても、

申し込む勇気が出なくなりました。

これ、本当に私にできる仕事だろうか?

また、嫌な思いをしたらどうしよう?

どうせまたダメだから・・・

そんなことばかり考えていた気がします。

起業を考えたのは、正直に言えば、

誰も雇ってくれないなら自分で起業する

しかないと思い始めたから。

何が自分のしたいことなのか、何が自分

に一番合った仕事なのか、これでいいの

か悪いのかいまだにわかりません。

ただ、今は、与えられたチャンスや仕事を

一生懸命やろうと思います。


輝いていたあの頃のように・・・
  


Posted by HIRO(talkwith) at 21:31Comments(0)

2015年11月10日

スーツケースの香りが・・・

こちら、クローゼットの奥にしまい込んでいた

スーツケース。





久々に出してみました。

ああ、なんだろう、この感じ。

懐かしいというか、わくわくするというか・・

匂いがね、たまんない

旅行に行く前の高揚感みたいなものが

一瞬でよみがえってきました。

スーツケースにはコリアンエアのタグが

・・・最後に行ったのはソウルだったのね。

・・・(遠い目)・・・

あの頃はまだまだバリバリに働いていて

会社もまだ健在で・・・

今回、お友達のお子さんが修学旅行で

シンガポールに行くというので使ってもらう

ことにしました。

このスーツケースがシンガポールに行くのは

2度目です。

素敵な思い出をいっぱい詰め込んで帰って

来てほしいです。

また、この子と一緒に海外へ行ける日を

夢見て・・・
  


Posted by HIRO(talkwith) at 22:01Comments(0)